「交わりの喜び」使徒20:1-12

 私たちは様々な人間関係の中に生きていますが、それは大きく3つあります。一つは血縁。それは選ぶことのできない関係です。二つ目に経済・労働共同体である職場。目的主導の関係です。三つ目は地域。それは都市を中心に崩壊しつつあります。それに加えて私たちには教会という交わりがあります。

 交わりということばは教会でよく使われることばですが、その正確な意味をよく理解しておくことが大切です。しばしば、それは暖かいとか冷たいとか、飲み食いとか雰囲気とか、そんなことが評価されたりします。しかし交わり=コイノニアの元来の意味は、「共有する」ことです。主イエスの恵みを共有することが第一です。だから私たちはパンを裂き、聖餐にあずかり、礼拝を献げます。それこそ教会のいのちです。そして、互いのいのちを共有します。しばしば交わりは「献金」とも訳されます。お互いのいのちのために献げ合い、支え合い、ともに生きるからです。イエスの教えられた神を愛し、隣人を愛することが交わりの本質なのです。

 さて、トロアスでのこと、ユテコという青年が集まりの最中に寝てしまい、屋上から落ちてしまいます。教会の中には、様々な立場の人たちがいました。身分の高い人もあれば奴隷もいました。自分の仕事を精一杯してから交わりに加わりたいと駆けつけて身を置いていた一人かもしれません。長い話しにうとうとと眠り込んでしまったのです。

 いやされた彼を見て兄弟たちは「ひとかたならず慰めら」ました。それは、共有する交わりにある彼らがこの悲しみに心を痛めたからです。しかし彼らは主イエスの恵みをともに見て喜び、いのちのために慰めをいただいたのです。私たちが作る交わりもそのような喜びある交わりを主にあって築きましょう。

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