「人生の嵐に」マルコ4:35-41

 時は夕方、群衆を教られたイエスは湖の向こう岸へ行こうと弟子たちを促します。漁師だったペテロたちには勝手知ったる湖のこと、いつものように漕ぎ出します。そこに嵐がたきつけるのです。彼らはあらん限りの力を尽くして舟が沈まぬようにもがきます。私たちにことが起こったとき、危急のときに考えることは、その人の生の姿。何が一番大事なのか、それが現れます。普段、どうにか自分のテリトリーの中でコントロールできることならば、ゆとりをもって、ことを考えることもできるでしょう。しかし、一刻を争う事態になったとき、本当の姿が現れるのです。

 私たちはどうでしょう。にっちもさっちもいかない危急なことが起こります。突然突きつけられる病や怪我、事故や災害…。「死ぬ瞬間」というガン末期患者のインタビューをまとめた本があります。その時人は、拒絶、怒り、取引、抑鬱、受容という5段階を通ると言います。それはグリーフワークと呼ばれる喪失体験に共通することでしょう。また、家族のこと、自分ではどうにもできない嵐が吹き荒れるようなことが起こります。

 彼らは、ここにイエスがおられることはわかっている。今まで、多くの病をいやし、悪霊を追い出し、数々の奇蹟のわざをもって、ご自身を知らせてこられました。それでも、このお方こそ、何一つおできにならないことはない神であられることを信じてはいなかったのです。ですから、嵐を静められたとき、「いったいこの方はどのようなかたなのだろうか」という問いで終わるのです。

 それが解けたのはよみがえりのイエスにお会いしたときです。死をも乗り越えたお方が、「わたしには天においても地においても、すべての権威が与えられています」(マタイ28:18)と仰ったときに、どんな嵐にも立ち向かう力をいただいたのです。それはあなたにも今、与えられています。