「人間をとる漁師に」マルコ1:14-20

 イエスの宣教の初め、それは「時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい。」ということばから始まります。それは、今、その招きにどのように応えるのかということが迫られることばです。

 の宣教の開始とともに記されているのは最初の弟子たちをお召しになるできごとです。ことの順序はマルコの福音書とルカの福音書で違います。ここでは最初に召しがあり、その後にカペナウムの町を中心に働きが進められていったことが記録されていますが、ルカの福音書では教えや癒やしの出来事の後、弟子たちをお召しになったという順です。マルコの福音書では、このイエスの迫りのことばに従ったことを強調しています。

 しかも、彼らは自分たちのなりわいである網を捨て、あるいは父も船も、雇い人も残してイエスに従うのです。それは決して、自分たちの責任を放棄するわけではありません。今、ここで、第一とするか。そのためにすべてを捨ててお従いするか。人はどっちもとはできないのです。あなたはどうでしょう。何を一番にしているでしょうか。

 彼らへの招き、それは「人間をとる漁師にしてあげよう」という召しでした。漁師になることは簡単なことではありません。彼らは代々それを受け継ぎ、見よう見まねで達人に学び、時間がかかったことでしょう。人間をとる漁師、それは人の罪を見抜き、悔い改めに、神のもとに導く務めです。彼らにその務めがわかったのは、十字架と復活のイエス様の前に立ったとき、いや、そこにイエス様が現れて下さったときです。エルサレムの学のある者、力のある者、権力者ではなくガリラヤの漁師を選ばれました。同じように救いの先駆けとして選ばれた召しに従おうではありませんか。