「口先だけの信仰でいいのか」1サムエル15:1-31

 イスラエル最初の王サウル、『あなたは、自分では小さい者にすぎないと思ってはいても、イスラエルの諸部族のかしらではありませんか。主があなたに油をそそぎ、イスラエルの王とされた』というサムエルのことばがキーワードです。ところが彼は口先では主を敬いながらもその実が伴っていないのです。
 サウルの始まりは預言者サムエルによって王として油注ぎを受けるところから始まります。取るに足らない自分がどうしてと彼は思っていましたし、くじで選ばれると身を隠すような者でした。自分に王など務められないという謙遜と恐れがありました。それが主の霊が下って、それがしるしとなって、新しい心を与えられて王として立ったのです。
 王としての始まりはペリシテとの戦いでした(13章)。ペリシテに追い詰められ、兵が離れていこうとするとき、彼は自分自身の手でいけにえをささげ、ささげ終わった時にサムエルが現れます。主に従うよりも自分でどうにかしようとしたのです。ですから、この15章のアマレクとの戦いはいわばそのリベンジ。もう一度主は機会を与えてくださったのです。しかし、彼は再び主の言われたことに背き、聖絶し尽くしませんでした。一度ならず二度です。
 第一に彼はアマレクの王アガクを生け捕りにします。それは凱旋のパレードで見せ物にして王の威光を示すためです。第二に彼は記念碑を建てます。本来すべきことは感謝の礼拝だったはずです。第三に彼は聖絶せずに良い物を略奪品として民に与えます。それで兵の心をつなぎ止めようとします。さらに、民の前に「私の面目を立ててください」と言うのです。サムエルの前では「罪を犯しました」と主の前に悔い改め、主を敬っているようなことを口にしますが、その心は人の評価や評判ばかりを気にしてばかり。それは私たちも同じです。口先では主を敬いつつ、心はそこにない。主が求められるのは口先ではなく、心からの信仰なのです。