「天での礼拝、顔と顔を合わせて」黙示録22:1-7


 代価を払って買い取られた私たちに求められていることは、恵みに応える礼拝です。その礼拝の本質は心から喜んでみこころにかなう生き方をすることであり、そのゴールは天での礼拝です。世界がどこに向かっているのかという聖書の世界観、救いの完成を見据えて今を生きるということは大切なことです。
 世界は神の創造によって生まれました。その目的はその神の栄光を表すこと、私たちが互いの間において神の愛を喜び表す歩みをすることです。しかし、堕落により神と人との間、人と人との間に壁ができました。愛による一致には常に妨げが起こります。それは悪魔・サタンが強く私たちに戦いを挑んでいるからです。エペソ6章では、パウロがその戦いを戦い抜くための励ましを語っています。また、イエス様はマタイの13章で麦と毒麦のたとえをもって、今の世の戦いと主の最終的な救いを教えてくださいました。
 悪魔の策略は強く、私たちを惑わし、神の愛から遠ざけようと常に狙っています。CSルイスは悪魔の手紙という著書でそれを語りました。私たちの時代も毒麦は大きく育っています。20世紀は二つの対戦と冷戦という対立、その後の民族紛争に明け暮れ、21世紀を迎えるとテロからグローバルという名の経済戦争によって弱肉強食の世相になっています。世の流れは人の心のありようを投影するものです。人の罪とそれを惑わす悪魔の力が猛威を振るっている世なのです。
 一方、主は私たちに最終的な救いである新しい天と新しい地を備えておられます。そこでは顔と顔を合わせて主を仰ぎ見、一切の闇は取り去られます。その天を仰ぎ見、救いを与えてくださる神の力を励ましに悪魔と毒麦に打ち勝ち、天の祝福を地上でも表す歩みをしようではありませんか。