「平和ならざるもの、欲」ヤコブ4:1-8

 イスラエルで使われるあいさつは「シャローム」。平和を意味します。しかし、皮肉なことに今、戦争の舞台となっています。人は戦争を止める努力を重ねてきました。しかし、国際連盟は第二次大戦を止めることができず、今の国際連合も同様。私たちの国も戦後、憲法第九条とともに平和主義を貫いてきましたが、それを堅持できるのか。残念ながら、人間的努力によって争いが止められないのが現実です。
 その根本原因はどこあるのか。この箇所はそれが「欲」にあると教えています。1列王記21章には時の王アハブがナボテのぶどう畑を欲しくなり、奪い取った話が出てきます。欲のために王の権力を乱用します。「世界が100人の村だったら」というお話があります。そこには「持てる者と持たざる者」がいて、そしてその不平・不満が持てる者へのテロというかたちで表れることも少なくありません。国や民族という大きな集団は、それ自体が制御できない魔物のように大きくなって、「大義」のために止めたり後戻りができなくなります。
 その欲は富だけではなく、名誉や地位、支配などに表れることもあります。どこから始まるかと言えば、神から離れて、感謝を忘れ、今を満足できない一人一人の心から始まるのです。ですから、ここでは「神に近づきなさい」と言われるのです。世界大の大きなことも、小さな私からしか始まりません。
 「シャローム」と真に言うことができるのは、自らの心を主イエス様によってきよめられること、主イエス様の十字架の血潮を通して欲の罪の心を赦されて、恵みに立ち返ることによってのみです。そして、その心をいただいた者が地の塩、世の光として世界に置かれています。世界の中でちっぽけな自分が何の役に立つだろうかと思うかもしれません。しかし、その小さな光が重ね重なりあってこそ、平和が来るのです。このアドベントそれを共に迎えたいと祈りましょう。