ここで使徒パウロが切に願う祈りがあります。愛する教会のキリスト者が神様から得ることができることを願う3つのことです。
1つ目は、17節「知恵と啓示の御霊」が与えられる様にということです。聖霊に与えられる神様の知恵と啓示、つまり、神様の本質を理解できること、示される御心をしっかり理解できるようにという願いです。
次に、18節「聖徒たちが受け継ぐものがどれほど栄光に富んだものか」をはっきり見ることができるようにということです。「心の目」によって、キリスト者に与えられるものが、いかに素晴らしいものであるかを見ることができるようにという願いです。
3つ目は、19節「神のすぐれた力が、どれほど偉大なものであるか」を知ることができる様にということです。神様の偉大な力について、前記と同様、本当の意味で知ることができるようにということです。
しかし、良く考えるとこれらがどれだけ凄いもの(こと)であるかは、理解するのが難しいのでは無いかとも思えます。聖書は神様について「測り知れない」(例.詩篇145:3等)と語ります。まさに、測り知ることができない人間の知恵の及びのつかない偉大さであり、キリスト者が受け継ぐものも、測り知れない程の富んだものであると理解すべきではないでしょうか。
この祈りについて、自分のために日々祈っていくことができればと考えます。状況によって「心の目」が閉ざされ、神様が見えにくくなることが人生の中ではあります。その様な時にこそ、神様の本質を聖霊によって示していただける様に祈り続けたいと願います。また、私達の周りの方々、世界の教会に連なる兄弟姉妹、また、まだ主を知らない方々のために、この祈りを続けることも私達の重要な使命だといえるでしょう。