「心底悲しんでいますか」マタイ5:1-4

 あなたにとってこれまで最も悲しかった出来事はどんなことでしょうか。

 戦争の悲しみとは、単に命が失われたということだけではありません。その傷は多くの人に癒えることのない大きな悲しみをもたらしました。BC級戦犯。良心の咎めを感じながら、絶対服従の軍命令に従って人を殺した。一方、戦後その責任を問われて死刑判決。減刑によって釈放されたものの、帰ったところに自分の居場所がない。捕虜収容所に入れられ青春を奪われた少女。その後、子宝に恵まれ、幸せな家庭生活を取り戻したかに見えても、そこに影を落とす心の闇。

 世は、くよくよしても始まらない。過去を忘れて、前を向いて生きようと言います。人は悲しみを直視することに耐えられません。だから、上塗りをして悲しみの埋め合わせをしようとしますが、はかない努力です。悲しみは表に起こる出来事だけではなく、心の深いところにある問題だからです。

 パウロはローマ7章で「私はほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。」と言いました。心の中に眠る悲しみの原因は人を傷つけ、あるいは傷つけられ、赦せぬ心を持つ自分自身の罪、それを裁かれる神に対する罪こそが原因なのです。

 福音書にイエスが笑ったという記事は一つもありません。一方涙を流された記録が数カ所でてきます。それは深いあわれみの涙でした。真実に自分自身に向き合い、心底悲しみを認める人、ありのままの醜い罪の姿を神の御前に認める人。その人こそ主イエスの十字架の赦しに慰めをいただくのです。だからこその幸いです。別の何かで埋め合わせをしようとしてはいませんか。うわべ取り繕ってはいませんか。

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