「悪魔に立ち向かう」1ペテロ5:8-9

 依存症の回復グループには「今日一日」ということばがあります。依存する生活にやらずに過ごせる自信もなければ、約束もできない。ただ、今日の一日だけという積み重ねによって今を生きるということです。同じように、悪魔に立ち向かう、その自信もなければ約束もできない。でもその弱さを知る謙遜こそが、神に委ねることと表裏です。

 ペテロはここで「あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています」と言います。それは悪魔は私たちをあらん限りの力を尽くして神から引き離そうとしています。ペテロ自身、十字架の直前に勇ましくも「主よ。ごいっしょになら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」と言いながら、易々とイエスを知らないとのろいをかけて誓うのです。

 それでは悪魔に立ち向かうために「堅く信仰に立つ」とはどのようなことなのでしょうか。マタイの14章、場所はガリラヤ湖、向かい風の夜の湖、波に悩まされていた弟子たちのところにイエス様が湖の上を歩いてこられました。ペテロはそこで、「主よ。もし、あなたでしたら、私に、水の上を歩いてここまで来い、とお命じになってください。」と主に願い、水の上を歩き始めました。

 そもそも人が湖の上を歩けるわけがありません。ところが、できないことができたのです。ところがペテロは、風を見て、こわくなり、沈みかけます。イエスはすぐに手を伸ばしてくださいました。「堅く信仰に立って」イエスから目を離さないということ、それは、私イエスがあわれみをもって、私たちをつかんで下さる。弱さを知り、それがゆえに委ねることこそが「堅く信仰に立つこと」です。それぞ忘れずに歩みましょう。