上にあるものを求め、思うことを教えたパウロは続いて、捨てるべきものを教えました。その第一は「欲」です。アントニウスは人が抑えがたい8つの誘惑というものを遺しました。食欲、性欲、貪欲、不満足、怒り、落胆、虚栄心、プライドと続き、私たちはそれらと無関係ではいられません。本来よきものを人は罪ゆえに神中心であるものを自分中心に変えてしまいました。だから、偶像礼拝なのです。
第二に「怒り、憤り、悪意、ののしり、あなたがたの口から出る恥ずべきことば」、これらは感情に支配される人の姿です。それらを捨てるように、先には殺すようにと言います。厳しい言葉です。それはもう、大丈夫なんてことがない、私たち人が逃れられずに陥るものだからです。ですから、いつも意識して自分の心を見張らなければならないのです。
さらにパウロは古い人をその行いとともに脱ぎ捨てて新しい人を着るようにと教えます。人が初めて着たのは、罪を覆い隠すために身に付けたイチジクの葉です。神様が着せてくださったのはすぐに傷んでしまうものではなく、皮の衣でした。それは十字架のイエス様の救いを指し示しています。尊いいのちの犠牲をもって着せてくださったのは新しい人です。新しいものを着るとそれにふさわしい立ち振る舞いをするように、イエス様が着せてくださった新しい人を着たなら、それにふさわしい生き方をして、新しくされ続けるのです。
そして、新しい人はすべての人の隔たりと断絶が取り払われます。世界の知者だという自負のあるギリシャ人と神の選びの民でありそのしるしの割礼を持つユダヤ人。そこから見ると未開と見下す人たち、奴隷と自由人という立場の違い、新しい人はそのようなすべて、人の自負を取り払い、キリストがすべて、このお方こそ神の右の座ですべての権威をもって治める神の国の王の王、主の主、このお方の栄光こそ我が喜びと生きるよう導かれているのです。