この給食の奇跡はよく知られた出来事です。日暮れに大群衆。イエスは「あなたがたで、何か食べる物を上げなさい」と言われます。どだい無理な話です。何を求めておられるのでしょうか。
イエスは主の祈りを教えられたとき、日ごとの糧について祈り求めるようにと教えました。この出来事をしてその実践、私に願え、私に頼れと求めておられるのです。ルターは次のように教えました。「日ごとの糧とは、食物と飲み物、着物と履き物、家と屋敷、畑と家畜、金と財産、信仰深い夫婦、信仰深い子ども、信仰深い召使い、信仰深く信頼できる支配者、よい政府、よい気候、健康、教育、名誉、またよい友達、信頼できる隣人などである。これが日ごとの糧に含まれる。」私たちにとっても、同じチャレンジを主は求めておられるのではないでしょうか。
さて、主の祈りは山上の説教の一部です。その結論とでも言うべきことは「神の国とその義をまず第一に求めない。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます」というお約束です。神が一切のことにおいて主権をお持ちであることを信じる者にとってはどこであっても神の国です。この奇跡の後で弟子たちにイエスは尋ねます。あなた方は、私を誰だと言いますか。ペテロが「神のキリストです」と答えます。
そしてイエスは受難の予告とともに、「自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい」とご自身に従うことをお求めになるのです。自分を捨てるとは自分で何もかもしようとすることをやめることです。このおことばの通りにイエスの権威と力を信じてイエスとともに生きることを願うならば、なんと心強いことでしょうか。そしてそれは最も幸せなことなのです。