「神の恵みをともに喜ぶ」使徒11:1-18

 私たちのいのち、それは自ら進んで愛することを喜びとし、一つになるために造られたはずでした。ところが乗り越えられない壁がある。初代教会のキリスト者たちにとって最大の壁はユダヤ人と異邦人という壁でした。ペテロは夢の中に語られた神のメッセージと御霊の導きによってコルネリオのところへ導かれ、さらに聖霊の証印を押されて壁を乗り越えますが、他の者たちはそうではありませんでした。
 エルサレムの兄弟たちにことの次第、「どうして私などが神のなさることを妨げることができるでしょう」と説明すると、彼らは沈黙しました。議論してどうこうという問題ではないのです。聖霊が導いてことをなさるとき、私たちが口を挟むような余地は残っていません。むしろ神の恵みをともに喜び、主をほめたたえたるのです。
 この出来事の後にパウロはローマ15章で旧約聖書のいくつもの預言を引用して説明します。異邦人も主の民とともに恵みを喜ぶ中に入れられたのは、壁を乗り越えて、心一つに声を合わせて、ひとりの神を喜ぶためです。
 パウロは私たちのなすべきこととして「私たち力のある者は、力のない人たちの弱さをになうべきです。自分を喜ばせるべきではありません」と勧めます。そして、私たちの生き方は、キリストが仕える者として地上での生涯を全うしたように、与えられた賜物を用いて隣人に仕えるべきだと教えるのです。ユダヤ人は世界の祝福のために先駆けとして選ばれました。それは一方的な神の恵みです。
 同様に、私たちが今ここに救われ、教会の群れに加えられているということは、神の恵みの先駆けなのです。思い込みで作った壁を乗り越え、神のみこころに心を合わせ、恵みをともに喜び伝えようではありませんか。
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