「結婚のきよさを保て」マタイ5:31-32

 生きている限り男であり、あるいは女。それが私たち人間。そしてその結びつきである結婚は世代によって考え方が大きく違うでしょう。また、民族や国によっても違うでしょう。しかし共通する問題はそこに混乱があることです。神を知らないところでは、立ち戻るべき基準がないからです。

 ユダヤ人たちが聞いてきた言い伝え。それは『だれでも、妻を離別する者は、妻に離婚状を与えよ』でした。実に彼らは様々な理由をつけては離婚しました。飯がまずい、家事が下手だ、自分の言うことを聞かない…思い通りにならない結婚なら、離婚状を渡して正式な手続きをしさえすればよいと彼らは思っていたのです。律法をきちんと読むと、「恥ずべき事が見つかった場合」と定められています。イエスはそれを不貞、裏切りがあった場合のみやむなく許されるものだと言うのです。同じマタイの19章では、自分の都合で自由にできないものだったら、結婚しない方がマシだと弟子たちが言う始末です。

 そもそも結婚は神のかたちに造られた私たちが、三位一体の神が永遠から永遠にもっておられる愛による一致を喜ぶようにと神が与えてくださった祝福、一つになることです。それはイエスがゲツセマネで祈られた祈り、「私の願うようにではなく、あなたのみこころをなさってください」と自分を捨てて献げるあり方であり、それが神の基準です。

 罪ゆえに、そこから離れて混乱している世に必要なのは、この基準に立ち返ること。あきらめないできよさを保つことです。簡単なことではありません。すぐにできることでもありません。でも、ここに帰ろうではありませんか。そして、これからの人には、この基準を祈り備え、傷のある人にには、回復をとともに祈りましょう。