「自分ではどうにもならないことを」マルコ5:1-20

 4章で読んだ「嵐」は外から襲いかけるものですが、ここに出てくる男は自分の内側に住み着く悪霊に支配されていた人です。極端なことのように思いますが、私たちにも遠い出来事ではありません。どうにもならなく、自傷行為をする若者は10人に一人いるとも言われます。病気なら原因を見つけて治療しなければならないように、霊的な病も原因と治療法を見つけなければなりません。しかし、それは難しいのです。この男もそうでした。どうにか抑えつけようと鎖と足かせでつないでもそれらを引きちぎり、夜昼なく叫び続けるのです。

 私たちは誰しもが平和と平安を求めています。しかし、私たちの内側にも御しがたいものが住み着いています。山上の説教にもでてくる「柔和」ということばには「獣を手懐けて一緒に住むことができるようになる」という意味があります。まさに、私たちの内側に住んでいるのも罪の獸です。どうにもしがたいものが住んでいるのです。

 神ならぬものに、場所を空けると、いろいろなものが住み着いてきます。依存症の人たちはそういうものと戦っています。そうでなくたって、私たちの中にはここに出てくるレギオン(ローマの一軍隊5千人)のような大きな罪の力に縛られていたのです。

 せめてもあの豚にと願った悪霊は二千匹もの豚に乗り移って湖へなだれこんでいきまいした。私たちにとっても他人事ではありません。内に住み着く罪の獸は平和を乱し、自らを傷つけ荒れ狂います。今、マルコの福音書の中心は神の国、つまり神のご支配です。そのご支配に委ねるならば、それらを追いだして下さる。自らに住み着く獣を、レギオンを追い出す権威を主はお持ちなのです。もし、平和・平安を失っているなら、それは主に追いだしていただく罪の獸。主のご支配にゆだね、平和をいただこうではありませんか。