「賜物は価値なき者に与えられる賜物」2サムエル9:1-13 2012修養会2 藤本満師

賜物は価値なき者に与えられる賜物( n o t e )

一一死んだ犬も同然の私が、王の食卓に招かれる

Ⅱ サムエル9 : 1 – 1 3

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登場人物は、主に二人

 ・自分のことを、8 節「死んだ犬も同然」と思っているメフィボシェト

 ・その彼を、王の食卓に招くダビデ

 ・その私を、ご自身の食卓に招かれる神

 = メフィボシェトという人物

 

1)ダビデが、メフィボシェトに向けた思い。

=1節:生き残りは「だれかいないか」

= 3節

=4節

= 「忠実を尽くしたい」「恵みを施したい」というダビデの熱意です。一節、三節、七節

 ・・・何度も繰り返されています。

= ダビデがこうしてメフィボシェテを見ている目、それが神が私たちを見つめている目。

 ・・・神は私たちを探し出す。どこにいるのか、どこに隠れているのか、見つけ出す、その熱意です。

=ルカの福音書15:1-7

a. 神の決意(「一匹を見つけ出すまで)

失われた一匹の羊を捜すイエスさまの姿には、まさにそういう集中、情熱、根気、決意があるではないですか。

 ・・・それが不思議なのです。それが独特なのです。

 ・・・それは、なぜそこまでして、と問わなければならないのです。

b. 神の愛

= 迷い出た羊のたとえをマタイによる福音書でみてみますと、迷い出たのは、小さいものの一つであったとあります。

 ・・・元々、動物の世界、迷い出るものは、弱々しい、病をもったもの。

= もっと不思議なのは、それが見つかったときに、これほど大喜びするか?(6-7節)

    ↓

・・・それは、一匹の羊を、かけがえもなく貴く大切に思っているからです。

2 ) 招かているメフィボシェト一一私たちの姿

=4節「ロ・デバル」という地に住んでいた。

=八節「この死んだ犬同然の私」

= でも、死んだ犬同然のメフィボシェトの心の中に、自暴自棄ではなく、愛を求める思いもあったことでしょう。

・・・もっと光りの当たる世界に生きてみたい、温かい人間関係がほしい、そんな思いもあったことでしょう。

3)ダビデがそこまでしてメフィボシェトを招くとき、それには一つの鍵があった。

1節「私は、ヨナタンのために、そのものに忠実を尽くしたい」。

I サムエル2 0 : 1 4 – 1 6

    ↓

ダビデは、契約に真実な人でした。

神の私たちに対する憐れみも忠実です、真実です。

そして、必ず、そこには鍵がある。一一イエス・キリスト

I ヨハネ3 : 2 6 「あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。」

工ペソ2 : 4 – 6 「憐れみ豊かな神は、わたしたちをこの上なく愛してくださり、その愛によって、罪のために死んでいたわたしたちをキリストと共に生かし… … キリスト・イエスによって共に復活させ、共に天の王座に善かせてくださいました。」

= メフィボシェトが受ける祝福は、独特に表現されています。

7 節「あなたは、いつも私の食卓で食事をして良い」

・・・王の家族として、迎えられました。

・・・食事だけはないのです。王の息子として迎えられているのです。

=神は、キリストの故に、私たちを子どもとし、家族として、天の食卓に、天の王座につかせてくださる。

・・・ダビデは、ヨナタンの契約を覚えて、死んだ犬も同然なメフィボシェトを家族に迎えた。

・・・ 神は、キリストの十字架を覚えて、死んだ犬も同然な私たちを家族に迎えてくださる。

   ↓

それが神の真実です。意気込みです。

これが人生最大の賜物です。

= 1 3 節「メフィボシェトはエルサレムに住み、いつも王の食卓で食事をした。彼は両足がともになえていた」

・・・前半は彼が受けた特権、そして後半は彼がその特権を受けるにふさわしくない、価値なき者であったこと。

本来ふさわしくないものが、神の都エルサレムに住み、いつも、いつも王の王であるイエス・キリストの食卓につくことを許されているのです。

この人生最大の賜物を喜ばずして、何を喜びましょう。

4)メフィボシェテには土地も与えられた。

・・・7節「あなたの父祖サウルの辞書を全部にあなたに返そう。」

・・・これが彼に与えられた賜物の一部です。