「TEA」を改めて考えた

 修養会では、S先生を通して、「神の期待される民」になるために、私たちが覚えるべきことについてみことばの説き明かしをいただきました。4つのメッセージをいただいた中で、私は先生がお話くださったTEAという私たちの人間理解に、なるほど!っと、改めてうなずきました。

 どこかで考えていること、漠然と分かっていることであっても、適切なわかりやすいことばで説明するということは簡単なことではありません。それができるということは様々な知識や経験が統合されてはじめてできることです。

 TEAのTはThinking, 私たちの思考や理解、考え方や意思です。EはEmotion, 感情です。そして、AはAction, 行動です。先生が説明くださったのは、私たちの行動の多くは、頭で論理的にわかっていることや筋道立ててことを考えてするよりも、感情的な反応をしていることが実に多いということでした。

 まるで動物!ではありませんが、私たちは御しきれない感情という自分の内側にある思いに支配されていることでしょうか。それに流されずに生きることこそが、信仰によって生きるということだと新たにされました。

 先日、日本伝道会議で講師のクリス・ライト師が開いたのも危機の場、2列王記6章でエリシャと連れの者が敵であるアラムに囲まれたときのことです。連れの者は恐れの感情に満たされます。一方、そこでエリシャが目を開くように祈ると、火の車と戦車がエリシャを取り巻いているのが見えました。信仰の目をもって見るならば、万軍の主がともについておられる。それが信仰のThinkingです。

 二重に同じメッセージを語られたように思います。どうか、主よ。心の目、信仰の目を開いて神のみわざをThinking, 信頼することを教えてくださいと祈らされます。