どこにでも起こることなのだが

 震度7!いまだ聞いたことのない揺れが、新年早々能登半島を襲いました。正月に家族が集まっていたところにケイタイのアラームが鳴り響き、千年に一度とも言われる大地震。最大西へ1m、そして4mも隆起したというのですから、その揺れはどれほどのものであったのかと思います。
 次第にその地震と地震による被害の詳細がわかってきました。地震とともにすぐにやってきた津波、輪島の大火災、寸断された道路は迂回路もなく、孤立した町や集落には、そこへ行く手段がありません。避難や復旧の妨げとなる寒さと雪。そして地方の高齢者の多い地域ゆえの人手不足。水がないことによる衛生環境の悪化。さらに今なお続く余震。そこに住んでおられる方々にとっては今のことだけではありません。あれだけの被害に遭ったところが果たして復旧できるのだろうかという不安が拭えません。そこに住む人たちが支えられることを祈るものです。
 一方、この地震というもの、日本中、いつどこで起こってもおかしくないものです。首都直下型地震、南海トラフ地震、あるいはそれと連動するかもしれないと言われる富士山噴火。被害リスクを多少なりとも減らすことはできても、それらが起こったなら避けることはできません。しかし、どこかで自分は大丈夫という「正常化バイアス」が働きます。
 私たちにとって最も頼りになる備えは、いついかなるときにも、それは人の目には絶望と映るようなことの中にも主がともにおられるという支えです。これを日々覚えることほど強い力はありません。
 「私は、どんな境遇にあっても満足することを学びました。…ありとあらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。私を強くしてくださる方によって、私はどんなことでもできるのです。」(ピリピ4:11-13)
 それとともに、周りのために愛をもって仕え生きることを心に留めましょう。