なぜ戦争を選んだのか

 敗戦から69年、平和を願う思いは誰も変わることはないでしょう。私たちの記憶に残っているのは、南方に散った若い戦士の命、空襲や原爆の災禍、激しい沖縄戦での戦死者、劣悪な生活事情、満州からの引揚者など、生活に密着した経験。そして、二度とあんな思いを繰り返してはならないという願い、あるいはアジア諸国に与えた侵略の反省です。

 2005年、読売新聞社が戦争責任に関する世論調査をしました。「先の大戦当時の、日本の政治指導者、軍司指導者の戦争責任問題をめぐっては、戦後、十分に論議されてきたと思いますか、そう思いませんか」という問いに「まだ議論されていない、あまり議論されていない」という回答が約6割です。そして論議が十分されないまま世代が入れ替わろうとしているのが今です。残念ながら人間というもの、同じ過ちを繰り返します。そして、今の政治は戦前のムードによく似ています。

 アジア・太平洋の利権を巡る争いが第二次世界大戦でしょう。アジアの大国である中国と英・仏・蘭等の植民地であった東南アジア、近代国家として勢力を伸ばしたい日本、それに大国米ソがみな互いに牽制しあう状況は今の緊張関係と重なり合います。とりわけ小国日本の物資・経済的海外依存度は大きく、ひとたび戦火を交えたらひとたまりもないことは目に見えて明らかだったはずです。

 それにも関わらずあえて戦争を選んだのはなぜなのか。その反省や責任についてはいまだ論議も理解も深まっていません。そして前車の轍を踏むような向きに進んでいます。一人一人が大切にされない政治は、イザというときに国民を犠牲にします。情報を隠蔽・操作します。主にいのちをいただいて生かされているという重みゆえに、人の罪と限りのゆえに絶対などあり得ないことをわきまえ、とりなし祈り続けたいと願います。