子どもたちに誘われて、精進湖に日の出を見に行きました。真っ暗な甲府を出て湖に着くと、すでに日の出を待つ人たちが大勢カメラを構えていました。徐々に白んでいく空、そして、山際がオレンジ色になり始めると、富士山の頂上から順に陽が当たり始め、やがて陽が昇ってきました。それと同時に待っている間に冷え切った体に温かな光が差し込んできました。
最後に日の出を見たのはいつのことだったか。毎日、いや、何年、何十年、何百年、何千年と同じように、地球は巡り、たとえ曇っていたとしても、太陽はこの地上に光と熱を届けてきました。そして、誰でも例外なく、その恵みを受け取れるのです。
「夜が明け始めていたころ、イエスは岸辺に立たれた。」(ヨハネ21:4)。これは、イエス様の十字架と復活の後でのガリラヤ湖です。弟子たちはもとの生業である漁にでますが、夜通し働いても何もとれませんでした。そこに、イエス様は「舟の右側に網を打ちなさい。そうすれば捕れます。」と声をかけまます。その通りに網を下ろすと、引き揚げられない魚がかかり、その瞬間、ペテロはイエス様だとわかって、湖に飛び込みます。イエス様は炭火を起こして「さぁ、朝の食事をしなさい」と弟子たちを招いてくださいました。そして、その後、ペテロに「あなたは私を愛するか」と三度尋ねるのです。
イエス様の恵みは誰にでも例外なく注がれています。しかし、それを受け取るかどうかは応答次第です。ペテロは自分にはその資格がないと感じていましたが、イエス様は一度ならず三度も尋ねてくださったのです。イエス様は、この年、様々な出来事の中に私たちが埋もれてしまうとき、イエス様を見失ってしまいそうになるとき、暗闇の徒労を続けるようなとき、いつも恵みへと招いてくださいます。その声を喜び迎える歩みをともにしてまいりましょう。