最初にイエスをこの世にお迎えした人たち、それは、マリヤとヨセフの夫婦、野の羊飼いたち、東方の博士たちでした。そして、さらにシメオン、アンナです。
若いマリヤに告げられたのは。「神によって不可能なことは一つもありません」という御使いのことばです。彼女にとっては、それがすべてであり、それで十分でした。
ヨセフにとっては奇想天外なマリヤの懐妊。裏切りか事故か、はたまたマリヤの言う通りなのか。揺れる彼の心に語りかけたのは夢の中での御使いのお告げでした。彼はそれを信じ、マリヤを迎え入れ、すべてを受け入れ、また背負う決断をしました。
救い主の誕生が最初に知らされたのは、羊飼いたちでした。彼らはベツレヘムへ行き、みどりごイエスを捜し当てました。「この民全体のためにすばらしい喜び」です。その先駆けとして伝えられた彼らは周りの人たちにその光栄なできごとを喜び伝えます。
星に導かれてはるばる旅した東方の博士たち。王宮にいるとばかり思っていたユダヤ人の王をベツレヘムの家畜小屋に捜し当てました。彼らは「この上もなく喜」びました。そして、あらん限りの宝をささげます。
老いたシメオンのただ一つの願い、それはイスラエルの慰めであるキリストを見ることでした。イエスをこの目で見た彼はすべてが満たされました。人生にとって大切なことはなんでしょうか。彼はそれを目で見ました。
もし、あなたがその場に居合わせたとしたら、どんな思いでイエスをお迎えしたでしょうか。そしてそれは、今、ここに居ても同じです。どのような思いでイエスをお迎えしているでしょうか。このお方こそ救い主。そして、王の王、主の主としてお迎えしているでしょうか。その喜びを、大きな喜びに感謝をささげましょう。