世界がまだ小さかったとき、それは遠い昔の話ではありません。海外観光旅行が解禁されたのが1964年、オリンピックの年のことです。それからちょうど50年。ちょっと行ってくる、という感覚で往き来できる時代は私たちの時代になってからです。
ライト兄弟が動力式飛行機の飛行に成功したのが1903年、軍用機などを除いて、大衆が飛行機で旅をできるようになったのが1960年代、それまでは船旅で長期間の航海が必要でした。その時代、宣教師として海外に出て行くことは“命がけ”の時代でもありました。旅だけではなく、免疫のない地域での病気、引き返すことが容易ではない一方通行の旅。様々覚悟をしなければなりませんでした。一方で、全く福音を伝えられたことがないいわゆる未伝地も数え切れませんでした。
それが、わずか数十年の間に世界は小さくなりました。往き来はもちろんのこと、インターネットなどの情報網の発展でニュースも瞬時に伝わってきます。日本も未伝地ではなく、お寺8万、教会8千と言われます。日本人の宣教は日本人だけでできないのでしょうか。宣教師が共に働くということはどのようなことを期待できるのでしょうか。
一番大きな期待は「異文化のチャレンジ」でしょう。「井の中の蛙大海を知らず」とは言い古されたことばですが、日本を出て初めて日本という国を、あるいは自分の生き方を考えるようになったと多くの人たちが言います。宣教師がいるということは、日本に居ながらにして異文化を感じることです。国内ですらままならない宣教の現実があるのに、海外に行くということも同じです。私たちがともに委ねられているのはワールド・ミッション。世界宣教です。最も身近な人から、海の果てまで。福音を伝えるためにすべてのことが用いられるように祈りましょう。