初めの志を大切に

 この春は新入学する子どもたち、就職して社会人としてはじめる若い兄姉にフレッシュな息吹を感じます。誰もがそのように新しい春に胸躍らせて、期待をもってスタートしたときがあったはずです。ところがいつの間にか日常の中に流されて埋没してしまうのが人のもつ傾向です。いつまでもフレッシュさを保つためにできることはないでしょうか。それは信仰生活においても日常生活においてもすべてに通じることでしょう。
 第一にそれは、「もうわかったとは決して思わないこと」です。使徒パウロは言いました。「私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕らえようとして追求しているのです。」(ピリピ3:12)彼ほど福音の奥義に通じている者はありません。しかし、それでもまだ不完全な器であることをわきまえ知っていました。
 第二に、「人に対して謙虚であること」です。「へりくだって、互いに人を自分よりすぐれた者と思いなさい。」(同2:3)とパウロは勧め、それは「キリスト・イエスにも見られるものです」と十字架の主がそうであったことをそのベースに置くベきことを教えます。自分はわかっている、自分はベテランだと人を見下すようなことがあってはなりません。まして、批判をしたり、さばくようなことがあってはならないのです。
 第三に、「ワクワクを忘れないこと」、別のことばで言えば好奇心を持ち続けること。そのためには新しいことにチャレンジすることを続けるのです。だんだん今までやっていたようにする方が楽に感じ、それを続けることに安泰します。別のことばで言えば自己満足、現状維持、そして心も思いも硬くなってしまいます。
 そして、私たちは主日ごとに「新しく」され続けます。主の御前にすべてを献げて新たにするからです。それを続けて初心忘れずフレッシュないのちを歩みましょう。