天にある希望、ゆだねる平安

 山路越えて ひとりゆけど

 主の手にすがれる 身はやすけし

   松のあらし 谷のながれ

   みつかいの歌も かくやありなん

 峯の雪と こころきよく

 雲なきみ空と むねは澄みぬ

 「この歌、わかりますか」って聞かれたことがあった。ようはわからんども、何となくわかる。わだしが死んで、一人とぼとぼ歩いて行くんだども、なんも淋しくないのね。イエス様の手さつかまって、イエス様と一緒に、天の国さ行くからね。

 わだしはね、多喜二が警察から戻ってきた日の姿が、本当に何度も言えん思い出された。多喜二は人間だども、イエス様は神の子だったのね。神様は、自分のたった一人の子どもでさえ、十字架にかけられた。神様だって、どんなにつらかったべな。

 だけど、人間を救う道は、こうした道しか神様にはなかったのね。このことは、いきなりすっとはわからなんかったども、イエス様は「この人たちをおゆるし下さい。この人たちは何をしているのか、わらんのですから」って、十字架の上で言われた言葉が腹にこたえた。わだしだって、とっても言えん。「神様、白黒つけてくれ」ってばっかり思ってた。それが「神様は、正しい方だから、この世の最後の裁判の時には、白黒つけて下さる。安心していいんですよ」って、聞いたとき、なんかわからんが、神様って方が、、わかった気がしたの。(三浦綾子「母」より)

 この世の歩みには白黒つかない、苦しい山路を私たちは通ります。しかし、十字架と復活の主はその悩みを知っておられます。そして、私たちを天に迎え、すべてのことをお裁きになる。よみがえりの主が、私たちにはどうにもならないこともお裁きになる、ゆだねる平安を教えてくださいと祈りましょう。