奉仕をささげるとは

 奉仕分担の希望を出していただき、新年度の準備が始まっています。並べてみると目に見えるもの、見えないもの様々な奉仕を兄弟姉妹が負ってくださってはじめて教会というものが成り立っていることを覚えます。いつも私は思うのですが、教会というのは不思議なところです。生まれながらそこにいたわけでもない。会費を払って利益がでるわけでも、何かをもらえるわけでもない。すべてが自発的にささげられるものによってのみ成り立っているところだからです。

 私たちは、どちらかというと受け身になりやすく、誰かにやってもらうということに依存的な体質を持ちやすいものです。いつか誰かがやってくれるだろう、私がやらなくても誰かがするだろう、そんな意識が働きやすいのです。来週、来週と思っている間に何ヶ月も、いや一年過ぎてしまうこともあります。今、私に気づかせてくださったということを大切に、自分に与えられた務めなのだという思いでささげることが大切なのではないでしょうか。あれもまだ、これもまだと思ったならば、奉仕はまず私からです。

 また私たちはお互いの奉仕を喜んで助けることが大切なことです。十分に行き届かない奉仕があります。どうみても欠けや甘さが残ることもありましょう。世の中では「誰の責任!」ということになりましょう。そもそもできなかったことで誰かが損をするでしょうか。傷を受けるでしょうか。迷惑でしょうか。むしろいたわり合う交わりが、あるいは補い合う交わりが私たちの心を暖かにし、励ましと勇気を生み出す基となるのではないでしょうか。そのような奉仕を交わりを築きましょう。

神は、劣ったところをことさらに尊んで、からだをこのように調和させてくださったのです。それは、からだの中に分裂がなく、各部分が互いにいたわり合うためです。1コリント12:25, 26(2005.5.13 再掲)