思惑働く世界に祈ること

 ロシアによるウクライナの侵攻が始まりました。軍事施設を破壊して無力化し、チェルノブイリ原発を占拠して安全の鍵を握り、主都キエフを攻撃して政権を奪取しようとしていると報道されています。なぜ今ウクライナなのか。ロシアと欧州の間にあって、すでにロシアはクリミヤを支配下に置き、常に影響力を拡げようとしていました。ロシアと欧州の境に位置している国の宿命でしょうか。
 世界の問題は食糧とエネルギー。そして、それをやりとりするための貿易と物流、情報と金融です。簡単すぎるでしょうか。私たちの普段の生活の中でそれほど意識してはいないかもしれません。しかし、私たち日本は食料もエネルギーも圧倒的に海外依存しています。ウクライナ危機はそういう問題を考えさせられます。
 小さな自分の生活を考えてみれば、食料もエネルギーも自分で賄っている家庭などないでしょう。大震災のときにはエネルギーが途絶え、大雪の時にはスーパーの食品がわずか数日で空になりました。そして、それは世界規模でそれを分け合っているからです。世界の中ですべてを自給している国があるでしょうか。みな相互に複雑に絡み合って成り立っています。ところがそれを牛耳りたい。いつも自分に都合よく物事を掌握したい。考えたいという思惑が働きます。
 自分のことに当てはめて見ればそうです。周りの多くの助けをいただいているから立っていられる。それがまるで自分で全部やっているように錯覚しているほど見苦しいことはありません。それが国になれば正当化されるのかと言えば、そんなことはありません。感謝の心と分け合う心、それに周りに自分のできることなら喜んでとささげる心があればいいのです。きれいごとでしょうか。いいえ。せめても恵みによって神の民のされた者たちは、身の周りから世界に至るまで、それをともに祈る者とさせていただきたいのです。