成人式に祈る願いと模範

 成人の日は小正月、昔の暦の一年の始まりとして15日に祝われてきました。数え年でしたから、この年から大人の仲間入りという式だったわけです。男子なら元服。元は頭、服は着用、つまり頭に冠をつけ、武士ならば烏帽子をつけ、女子の場合は放髪(はなちがみ)。おかっぱ頭を髪上げ式によって結髪します。後には垂髪となったので、衣服改めだけとなり「裳着(もぎ)」。裳をわきに結ぶ式とか、小袖をふさぐ「袖留」の儀式と言われ一人前となる儀式だったわけです。

 聖書の中では13才で「バル(子)・ミツヴァ(律法)」の式を行い、「律法の子」として、一人前の信仰者として、日夜学んできた聖書の知識を確かめられて成人として認められます。会堂での聖書朗読の役に入れられ、神殿でも「男たちの前庭」に入ることが許されて、「経札」と「ふさ」をつけます。イエスが12才で神殿に登られたのは、これに先だって神殿での祭儀にあずからせておくためのものでした。

 日本の成人は、どこかかたちばかりの成人式で、大人としての自覚というものが、本人も周りも少々乏しいように思います。我が家の子どもたちも成人を迎える年齢になってきて、口にするのは、3つのことです。

・神の御前に信仰者として生きていく献身・自分のことは自分でする自立・他の人のために役立つ人になる愛。これらを生きて欲しいということを最近はことある毎に伝えています。一人の人として、これを生きるならば間違いなく幸いないのちを生きることができる。

 そしてまた、問われるのが周囲の大人として、これらを生きているのかどうか、あんな大人になりたい!というよき模範があるかどうかです。子どもたち、若い人たちの在り様は大人の反映です。それは、いくつになっても変わりありません。若い人たちにとって希望がもてる、大人を、将来をともに築こうではありませんか。