戦後70年、教会の課題(2)

 聖書に従い、国体に従うというダブルスタンダードを持った戦時中のキリスト教会。教師たちはその統合をしようと試みます。1944年の復活節に教団は、「日本基督教団より大東亜共栄圏にある基督教徒に送る書簡」を発信します。その内容は「全世界をまことに指導し救済しうるものは、世界に冠絶せる万邦無比なる我が日本の国体であるという事実を、信仰によって判断しつつ我らに信頼せられんことを」と支配下においたアジアの教会にも語りかけるのです。

 戦時中に国体と統合した「日本的キリスト教」、それにはいくつかのタイプがありますが、その一つは国体と混じり合い混淆するあり方です。日本神話には天地、この世界が生まれる天地開闢(てんちかいびゃく)が日本書紀に出てきます。それと天地創造を重ねます。聖書の神と天地開闢の基となった造化三神のうち、至高神である天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)を父なる神に重ね合わせます。また、皇室の基である天照大神(アマテラスオオカミ)とキリストとを重ねます。そこから皇室を頂点とする万世一系の日本という国体こそが神のみこころだと神道的基督教神学を構築しようとするのです。

 そこで語られるのは、「基督の神の国の理想は、只だ神ながらの神の国たる我が日本に於いてのみ実現され、而して世界に及ぼさるべきものとの確信とならざるを得ない」(渡瀬常吉『日本神学の提唱』)というような思想です。だから、大東亜戦争は神の国の拡張だと信じ、このために力を尽くして協力し、戦勝のために祈りをささげることこそ、教会の使命だと語りかけ、アジア諸国を支配下に置く大東亜共栄圏を確立することは神の国の到来、前進だとしたのです。それは聖書の語ることと相容れないはずですが、二重の基準を持った悲劇だったのです。(つづく)