安部元首相の銃撃事件から宗教とカルト、そして政治との結びつきが連日報道されています。オウム真理教の一連の事件後、宗教は危険という意識が刷り込まれました。そして今、宗教と政治、その影響力やカネの流れなどが話題になっています。そして、そこから受ける印象は宗教はどこかきな臭く、危ないというイメージが広まっています。
元統一教会は1970年代から90年代初めにかけて霊感商法や物売りをよく見かけました。また、洗脳、マインドコントロールから救出する働きなども行われていました。その頃は大きな違和感、異物感がありました。それが、おそらく1995年のオウム真理教事件以降、世間の目からは隠れていたのではないでしょうか。1994年に名称が「世界基督教統一神霊協会」から「世界平和統一家庭連合」に変更されました。その辺りからいわゆるカルトは大きく目立たなくなってきました。
今、改めて考えてみると、それは社会の大きな変化と重なるように思うのです。1995年は戦後50年です。日本にとって最も大きな変化であった戦後の復興から高度経済成長がバブル期を経て鈍化し、大きく社会が変化しました。その変化はゆっくり進んでいるので目の前でその実感を感じないのですが、世代間で経験してきたもの、経験しているものが大きく違い、個々人のものの感じ方、捉え方、考え方がよく言えば多様に、悪く言えば断絶が生じて、バラバラになってきているのではないでしょうか。
多様なものが受け入れられる社会のように見えるけれど、世の中には理解よりも断絶、無関心が拡がってはいないでしょうか。そういう中に取り残されている人、傷を負っている人、孤立している人がいる。それは時に破滅的行動に訴え出ることが起こる。にわかコメンテーターのようですが、キリスト教会はその社会にあっての慰めの場として用いられたいと願っています。