時代の変遷と伝道(4)

 1960年代から1980年代、それは日本のみならず、大衆伝道という働きがされた時代でもありました。米国のビリー・グラハムを招いての国際大会は日本では1956年、1967年、1980年、1994年の4回にわたって開催されました。最後の1994年は衛星中継という形で、地方都市ごとの大会でした。1980年大会は後楽園(現東京ドーム)を満員にする人が動員され、彼の招きに続々と人がイエス様を救い主として受け入れる決心をしました。
 国内では本田弘慈が本田クルセードを創設し、1964年に開催した東京福音クルセードは、文京公会堂で約2万人が参加して、約2千人が信仰の決心をしたといいます。この時代、「人が集まる」エネルギーというのは大きなものでした。1969年から1971年にかけて毎年8月に行われていたのが「中津川フォークジャンボリー」です。それぞれ、2.5千人、7千人、2-2.5万人集まるイベントでした。
 そして、教会でも「伝道集会」として、著名な伝道者、ゲストを招いての集会がよく行われました。私たちの教会でも毎年、「特別伝道集会(特伝)」をしては、教会の周りにトラクトを配り、電信柱にポスターを貼り、家族・知人・友人の名前を挙げては誘って来るように祈り会を持ちました。日本中の教会が同じような伝道活動をしていたのです。
 それが、1990年頃から、どの教会もあまりしなくなりました。もうちょっとソフトにウエルカム礼拝と名前を変えたり、コンサートや講演会にして、一気に救いを決心を迫るようなものではなくなってきました。欧米のキリスト教的バックグラウンドを持っている人に決心を迫ることはできても、日本人の神観は違うからです。雰囲気や付き合いに流されて決心はしても、中身は全然わかってなかったということがありました。「桃栗3年、柿8年、日本人伝道20年」とは中田宣教師のことばですが、長い地道な証と伝道が求められているのでしょう。(つづく)