コロナ下での教会の営みが丸2年になります。この2年の間、教会員の中には、ずっと会堂に集うことを控えておられる兄姉もおられます。週日、週報を取りに寄ってくださったり、小さな会や掃除の奉仕などに立ち寄ってくださる度に私はお会いする兄姉がいますが、互いに顔を合わせていない兄姉も多くおられることでしょう。
いままでは当然のように、主日ごとにともに礼拝をささげてきました。順番に奉仕の役割がありましたから、その奉仕をすることも教会員としての自分の役割でした。ところがコロナになって、教会の活動が最小限なものになると、教会の営みは回っていくのはという言い方はちょっと気が引けますが、どうにかやりくりをして続けられています。そして、どうしてもしなくてはならないことは多くはないことに改めて気付かされます。
それと同時に、教会の中での自分の役割って何だろうかと問い直します。どこかで順番を取り違えていたことがなかっただろうか。「マルタ、マルタ、あなたはいろいろなことを思い煩って、心を乱しています。しかし、必要なことは一つだけです。マリアはその良いほうを選びました。」(ルカ10:41-42)もちろん、マルタも一生懸命でしたし、それはそれで尊いことでした。
しかし、奉仕して仕えているはずなのに、喜んでできない。義務的に、あるいは不平を漏らしながら。または、奉仕することに時間を使い、本来向き合わなければならないことが後回しになったり、逃げていたり。今、手を止めてみると、教会の中での一番の大切な役割は存在です。「私ここにいます」ということではないでしょうか。いい時も、そうでない時も、そこにいること。それは、十字架の愛に赦され、神の家族に迎え入れられた感謝から始まること。どこかぼやけてしまったもの、「必要な一つ」をもう一度、新たにしたいと思います。