雪のように白く〜恵みへの信仰

 久しぶりに本格的な雪が降りました。幸い大雪というほどのことはなく、ホッとしています。白銀や銀世界、雪化粧ということばがあります。すべてが白く覆われ輝く美しい様を表すことばです。純白ということばもあります。汚れ一つなく清い。
「ヒソプで私の罪を除いてください。そうすれば私はきよくなります。私を洗ってください。そうすれば私は雪よりも白くなります。」(詩篇51:7 )
聖書の中ではよく知られたみことばです。雪のように罪を覆われて白く、きよくされることを美しく歌っています。
 ここに出てくるヒソプ、それが意味するのは犠牲の血です。出エジプトの過越の時、犠牲の血に浸して、鴨居と門柱に塗りつけるために使われたのがヒソプの束です。あるいは汚れとして民に加われないツァラアトからのきよめの血を振りかけるために使われます。ヒソプが使われるのは、壁際や石垣に生える草だから。つまり、どこにでもあってサッと集めて使える野草だからです。ちなみに、英語でヒソップと呼ばれる植物はイスラエル周辺には自生しないため、そのような場所に生えるシリアンオレガノが聖書の言うヒソプと言われています。
 美しく雪のように白く。そうされるためには尊いいのちの犠牲、その血が流されなければなりません。それほどに私たちは罪深く汚れた者。ですから、ここで歌われているのは、実は贖われなければならない私たちの罪深さ、汚れです。
 一方で、「そうすれば私は雪よりも白くなります。」ということばは、そのように尊い犠牲をもって赦してくださる神の愛、恵みへの信仰を言い表した確信のことばです。そうです。それは神の恵みの洗いなくしてはない。それほどに私は愛されている。雪の白さを見る度にそれを思い起こしたい。心新たにされる雪でした。