翼の教会

 先週の月曜日、福島○○教会を訪ねてきました。震災翌年の2012年、県民クリスマスにS牧師を招いてお話しを伺いました。その前から、幾度かお会いする機会があったのですが、その場をいつか尋ねてみたいと思っていたのです。

 震災後、原発5キロの教会は新会堂を献堂したばかりだったのですが、それを置いて行かなければなりませんでした。会津の教会、米沢の教会に避難後、約1年を奥多摩福音の家で過ごし、元々教会があったところから約60キロのいわき市に約30名で戻ってきました。全国に散って避難した教会員は避難先に定住する者あり、いわきで再び合流した者あり、あるいは津波で、あるいは避難生活のうちに天に帰った者たちもいます。それでも、2年後、どうにか、会堂を建てて再び新しい歩みをするようにと導かれました。

 翼の教会、それは故郷である大熊町をに向かって翼を広げた形をしています。そこに二つの意味を込めたと聞きました。一つは、翼の陰に身を避ける(詩篇91篇)イメージです。教会が大きな暖かな神の羽の下で憩い、安らぎ、回復をいただく場所となるようにという願いです。もう一つは、「主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって登ることができる」(イザヤ40:31)という信仰の告白です。

 いったん、すべてを失ったかにみえた、いや、失った教会がもう一度主によって復興して新しい歩みをしている姿に慰めと励ましをいただきました。自らを「流浪の教会」と呼んだ教会、帰れない故郷のそばでにあって、いつも胸のつかえを覚えつつも、天の故郷を仰ぎ見て、生きる希望、それをお伺いすることができ、励ましをいただきました。そして同じように教会が暖かに休む場、力をいただいて出ていく場になることを祈ります。