14日、15日と降り続いた雪。教会の周囲は14日の夜7時頃、人がすれ違える幅までしっかり雪かきをし、明日の朝、ひとかきすれば大丈夫だろうと思っていたが、それからの雪の方がもっと多かった!観測を初めて120年で最も多かったといいますが、それ以前もそうでしょう。五百年、千年にあるかないかの雪を私たちは経験したのでしょう。
陸の孤島になった山梨県、災害は常に人災が輪をかけます。雪で立往生した自動車は長距離トラックが圧倒的に多かったように見受けられます。過密なスケジュールで動いている物流業界の過酷さを物語っていないでしょうか。ドライバーは自己判断で仕事を選べません。行けと言われれば行かざるを得ません。その見極めは安全側にはいかないのでしょうか。利便が優先するのでしょうか。
また、雪をどうするか、その扱い方でその人の人となりが表れてしまいます。自分だけがよければよいような雪の始末をする人あれば、ご近所の高齢者宅を一件一件回ってくださる人がいます。さっさと雪かきをやめる人があれば、丁寧に通りを広くしようと何度も何度も心を配ってくださる方もいます。ご近所声を掛け合って一緒に雪をかくところあれば、一人で途方に暮れている人もいます。
私たちの雪は10日も経てばあらかた消え、元の日常に戻れました。一方で冬の間中雪に閉ざされ、止んでも曇天が続く日本海側などでは人の心も晴れ晴れとはしないでしょう。津波で根こそぎ失った人たちが生きるか死ぬかの瀬戸際を通ったとき、メディアや言葉には出てこない心の傷、それは普段隠れている人の本当の姿が見えてしまった、あるいは傷つけられてしまった。そんなことがたくさんあっただろうと思うのです。雪や災害が問題なのではない。人の心、私の心、どうか、赦しと愛で覆ってくださいと祈ります。