認知症と家族と教会と

 母を病院に連れて行き、認知症と診断を受けたのが10月の終わりでした。その前から冷蔵庫の片付けができなくなり、それが玄関先までに臭いがするようになり、いよいよ専門的に診断が必要だと決断したのです。一番先に「お母さんおかしいよ」と気がついたのは妻でした。家族は、多少おかしなところがあっても認めたくない心理が働くようです。

 確かに物忘れが徐々に進みつつあることは分かっていたのですが、それに輪をかけて耳が聞こえにくくなっています。みんなで話をしていることにはついて行けませんし、電話で話すことも徐々にできなくなりました。刺激が乏しいところ、なお、進ませているのかもしれません。それが2年、3年前からその兆候があったことは、後から思えば思い当たることがたくさん出てきます。

 それでも本人は困ってはいません。ここが難しいところで、まだ、身の周りのことは自分でやっていますし、一通りの家事をし、一人で自転車に乗って買い物や図書館にでかけます。つまりは認知症の初期段階だということです。戸惑って困っているのは一緒に暮らしている父の方で、意思疎通がうまくいかないのです。耳が遠いので、それと認知能力とも関わってると思うのですが、伝えることが大変です。そして、それをすぐに忘れてしまうのです。口癖は「初めて聞いた」です。何度も何度も説明して、メモを書き、確認に確認をしてもです。

 こういうことが起こると知っていても、イザ自分の家族に起こるまでは、その苦労はわからないものです。それは認知症に限ったことではありません。病気も事故も障がいも。感謝なことに、教会の交わりには様々な経験をもった兄姉がいます。どうしたらいいのかわからないようなことであっても、互いの経験が助けとなって、励まし合い、支え合い、祈り合う神の家族の交わりが豊かにされるようにと願うものです。