走り抜いた生涯とわが身

 OMFの日本フィールド代表であったF宣教師が約1年の闘病を経て、先週25日に天に帰られました。52才の短い生涯でした。私と同世代、4人の子どもたちも同世代、生きた時代や家族が似ていることもあって、人ごとではないそんな思いを感じさながらの葬儀参列でした。

 葬儀の場には別離の悲しみや寂しさは避けられようもないけれど、不思議とさわやかさ覚える時となりました。それは、短くはあっても、十分に走り抜いてゴールに着いた「お疲れ様でした」という思いと、痛みや苦しみから解き放たれた解放感と、天に迎えられたという希望から来るものではなかったかと思うのです。

 とりわけご長男の話には心打たれました。お父さんがくれた3つのもの、それは愛と謙遜と勇気。それぞれにまつわる思い出話をしてくださいました。夫人の「私たちはいつも一緒でした」という夫婦の一体感。それは一緒に「する」から、この一年、一緒に「いる」という関係に変化し、若き日から今に至るまで築いてきた素晴らしい夫婦の愛。

 考えさせられたのは、自分はいったい何をしているんだろうかという問いです。こんなにも誇りとされるものを妻に子供に、あるいは周りに与える人になっているだろうか。限りある自分の生涯が、そのようなものを残しているであろうかという問いです。死という地上の別れのときになって、はじめてそのことが問われます。しかも、それは自分が何を残せたかという満足であるよりも、ただ、用いていただいたこと、与えさせていただいた感謝を神に献げる今日を生きているだろうかという問いかけです。

 同時に、まだ間に合う。そう、思いを新たに残されているいのちをそのように歩ませていただきたいと強く祈るものです。