遠のく衝撃、愛は継続

 今週、震災から4年を数える。あの時の衝撃は日常を取り戻して遠のいている。一方で思い出すとよみがえってくる尋常ではない揺れ、次から次へと流れてくる被災状況。緊迫した状況の原発と決死の作業を続ける様子を見守った日々。続く地震に日本全体がどうにかなってしまうのではと恐れを覚え、停電で過ごした暗く寒い夜を思う。どうにか助けができないかと奔走した記憶と失った悲しみを語る人たちを見ては流した涙。

 3年くらいの間はときに思い出すこともありましたが、やがて次の出来事の中に埋没してしまいます。目の前のできごとでいっぱいいっぱいなのが私たち。被災地も津波の痕跡は片付けられて、今は町の建て直しのための巨大な建設現場になり、凄惨な被害の痕跡は表には見えません。

 ものがなくなれば、家族がいるだけで感謝だと思い、一つのおにぎりですら、ありがたいことだと感じたはず。一時のことならがまんができても、それが続くと不平がでるのが人の常。せめて元の生活を取り戻したい。それが多くの人の願いでしょう。ここでは、もう何事もなかったかのように元に戻っています。昨年の雪の経験も、春がくれば終わりでした。一方であの時から何も変わっちゃいないという人たちも少なくないのです。

 私たちは目の前のことにしか関心が届きません。衝撃も時が消化し、思いから遠のいていきます。しかし、悩みの中にある人たちは置いてきぼりだと感じ、忘れられてしまう悲しみを人の心の移ろいとあきらめる。でもそこには深い悲しみが蓋をしただけで何も解決していない。そんな人は少なくないでしょう。愛は継続です。一時の事だけではありません。愛は忍耐です。耐え忍んで続けます。愛は忘れません。愛に乏しい私たちも時に覚えて祈りとりなす者でありたいものです。