私はコンピュータが好きです。若い頃は、なんだか機械に頼るようで好きではありませんでした。ですから、コンピューターを避けて、触らずに工学部を卒業しました。それでもそれはまだ計算機と呼ばれていた時代のことです。それがどうして好きになったのか。延々と膨大な計算をこなさなければならなくなったとき、非常に効率的に計算ができることがわかったからです。
その後、ものすごい勢いでコンピューターは私たちの生活に入ってきました。読み書き算盤と言われていたものが、ワープロ、メール、計算にとって代わったかのように言われることも少なくありません。小学校の一年生から学校でパソコンを触るのですから、恐れ入ったものです。ところがどっこい人間ちっとも進歩していません。いやむしろ退行しているようにも見えます。コンピューターが使えるかどうかなど、その人の能力と全く関係ないのです。むしろ、それを使って何をするかが問題だからです。
建築家の安藤忠雄氏が「歩きながら考えよう」という著書の中で、読み書き算盤の「読み」とは、哲学すること、自分の生き方を考えること、「書く」ことは、自分の考え方を表現すること、「算盤」というのは、単なら数勘定ではなく人生を計画することだと述べておられます。
子どもは生産する必要がありません。学ぶことが子どものしごとです。生産するにはいかに効率よくやるかですが、子どもにはその必要がありません。遠回りをすることで考えることを学び、身につけることが大切なのだと思います。私たち大人はときに大人の原理を子どもに押しつけてしまうものですが、主からいただいた命を主のために、人のために献げる人に育つために、忍耐をもって子どもたちの遠回りを見守りたいものです。