庭木を手入れして考えた

 教会の北側の生け垣と植木の整理をしています。生け垣は抜きました。20年近く前、歯抜けになってみすぼらしかった山茶花の生け垣を植え替えたものです。年に数度、剪定などの手入れをしてきましたが、根張りが混み合ってきて株元に何を植えても育ちません。
 ラフランスの樹を植えたのは2013年。昨年ようやく春にかわい花を咲かせました。成長遅かったのは生け垣に近く、根が張れなかったからです。しかし、受粉しても実をならせる気配がありません。果樹には自家受粉するものと別種の樹がないと受粉しないものとがあります。ラフランスは受粉しないことはないという種すが、実際は難しいのでしょう。プラムの樹は順調に育ちましたが、わずか数個、指折り数えるくらいに小さな実がなるのみです。ハリウッドという品種ですが、主に他の木の受粉のために花粉を取るのがメインの品種なのが原因のようです。
 唯一、イチジクの樹は毎年よく実を着け、イチジク好きな兄姉が喜んでその実を食べています。それでこれだけ残して一旦みな更新です。O兄によると、ぶどうは植えてから3年ほどで実をつけ始め、5年くらいから出荷し、15年を超えると徐々に樹勢が衰るので、新しい樹、新しい品種に更新していくのだそうです。ここ10年くらいで、品種も変わり、シャインマスカットが主流になりました。教会お隣の柿は樹勢が衰えたのか、昨年は数えるほどしか実がつきませんでした。
 庭木は見て緑や花が潤いを与え、あるいは果実をならせたりするものです。役目を終えれば新しいものに植え替えられます。もじゃもじゃになった雑木、繁茂して見苦しい雑草は何の役にも立っていないどころか目障りなだけです。えいっ、抜き捨ててしまえ!とするでしょう。自分はどうでしょうか。周りに潤いや喜びを与える存在になっているだろうか。主にあって、そんな存在に自分を整えたいと思いました。