先週は、E中学の二年生の朝のチャペルタイムで話をしてきました。年に2回ほどのことなのですが、その時間わずか8分。いつも時間の制約に不完全燃焼を覚えます。ゲストで来る牧師さんの話。それが心に留まること、わずかでも、人生の糧になるように。一方で、十字架の救いの真理が届くようにと願うのですが、ことば難しいのです。
何回か試行錯誤した結果、ワンフレーズ、インパクトのあることばが心に残ったらそれでいい。そのために、練ったことばを使おうと考えた結果、「赦しは世界を変える!」というテーマ。先日、お話ししたジェイコブ・ディシーザーの話をしました。日本の真珠湾攻撃に対して復讐心をもって名古屋空爆を行い、不時着した満州で捕虜となる獄中で聖書のみことばに捕らえられた話です。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは何をしているのかわからないからです。」世界の憎しみ、それはあなたが小さな場からつくる赦し、その輪が広がって、世界を変える。あなたにかかっている。そういう話です。
チャペルの8分が終わると、顔を合わせる先生方が口々に「いい話だった。生徒に伝わって欲しい」と言うのです。中学二年生、その反抗期は大人への反抗です。自らを確立しつつある大切な時期です。そして、それは周囲へも向ける時期でもあります。若い頃に聞いたことばは生涯残ります。どうか、その一つのことばになって欲しいと願うのです。
同時に、大人として、信仰者として、私はみことばの真理を、その中核をどのように捕らえているんだろうかと改めて考えさせられたのです。真理はいつもシンプルです。ストレートで力があります。あれやこれやと難しくしてしまうのは、その真理を捉えきれていないからでしょう。主よ。ことを理解させてくださいと祈るのです。