「生ける水の川」ヨハネ7:37〜39
この教えがなされたのは祭り、仮庵の祭りの日です。この日は出エジプトの後、荒野での放浪の日々の恵みを思い返しつつ、仮小屋で過ごしながら、永遠の安息の日を待ち望むのです。エゼキエル書のはその日、神殿の敷居から水が流れ出し、 Continue Reading →
この教えがなされたのは祭り、仮庵の祭りの日です。この日は出エジプトの後、荒野での放浪の日々の恵みを思い返しつつ、仮小屋で過ごしながら、永遠の安息の日を待ち望むのです。エゼキエル書のはその日、神殿の敷居から水が流れ出し、 Continue Reading →
7つのパンで4千人が養われた奇蹟は、6章の5つのパンで5千人が養われた奇蹟と並行しています。違うのは一方がユダヤ人の間で行われ、もう一方が異邦人の間で行われたことです。それぞれ12のかご、7つのかごに余ったのは、ユダヤ Continue Reading →
ツロからシドン、デカポリス地方を通り抜けてガリラヤ湖へ来たイエスのもとに、「耳が聞こえず口のきけない人」が連れて来られました。イエスは「ご自分の指を彼の両耳に入れ、それから唾を付けてその舌にさわられ」、天を見上げ(祈り Continue Reading →
聖書は開口一番、はじめに神が天と地を創造したから始まります。「父よ、今、あなたご自身が御前でわたしの栄光を現してください。世界が始まる前に一緒に持っていたあの栄光を」(ヨハネ17:5)という祈りがあります。はじめにの前 Continue Reading →
舞台はツロの地方、異邦人の町です。休む間もないイエス様一行はそこでしばしの休みをとろうとされたのでしょう。そこに、「ある女の人が、すぐにイエスのことを聞き、やって来てその足もとにひれ伏した。」「すぐに」です。イエスの評 Continue Reading →
汚れときよめについて、イエスはパリサイ人、律法学者たちの形ばかりの偽善について糾弾しました。彼らは自分たちこそきよいという誇りのために周りを見下し、心頑なです。一方でイエスは群衆を呼び寄せて語ります。「聞いて、悟るよう Continue Reading →
人の定めるルールは相対的です。ある時代に正しいことが、必ずしも今に当てはまるわけではありません。神の戒め。それを人はどのように受けとってきたでしょうか。 ガリラヤのイエスのもとにエルサレムからパリサイ人たちと律法学者 Continue Reading →
安息日が終わって週の初めの日の明け方、マグダラのマリアともう一人のマリアが墓を見に行きました。ゲッセマネの祈りの後からイエスの逮捕、裁判、十字架。女たちの心にも、弟子たちに心もみな暗やみが立ちこめたままです。女たちは朝 Continue Reading →
受難週を迎えました。イエス様のエルサレム入城、人々は「ホサナ、ホサナ」と喜び迎えました。それは、イスラエルをローマの圧政から救う期待でした。一方、イエスの与える救いは罪からの贖いです。「父よ、彼らをお赦しください。彼ら Continue Reading →
この箇所は、イエスが湖の上を歩いて向かい風に舟を漕ぎあぐねている弟子たちのところに行かれるという奇蹟です。ここには、いったいどんな意味があったのでしょうか。 イエスは弟子たちを「無理やり」舟に乗り込ませて送り出したと Continue Reading →