「十字架こそ救い」ガラテヤ3:9-14
「律法の書に書いてあるすべてのことを守り行わない者はみな、のろわれる」(10)というのは申命記27:26のことばです。一方それは、みおしえを守るなら祝福されると続きます。イスラエルの民がいよいよ約束の地カナンに入ろうとい Continue Reading →
「律法の書に書いてあるすべてのことを守り行わない者はみな、のろわれる」(10)というのは申命記27:26のことばです。一方それは、みおしえを守るなら祝福されると続きます。イスラエルの民がいよいよ約束の地カナンに入ろうとい Continue Reading →
あぁ、愚かなガラテヤ人ということばから始まって、パウロは律法主義、行い主義、「してはならない、しなければならない」ではなく、ただ十字架のイエス様を見上げる信仰について教えてきました。それを彼らの父祖アブラハムを例に語り Continue Reading →
パウロはここに、厳しいことばで問いかけをします。「あぁ、愚かなガラテヤ人」、英語では一様にfoolishと訳され、砕けて言うなら、「バカな、わからずや」です。『バカの壁』という本がベストセラーになりました。人は見たいも Continue Reading →
新しい年、いまだコロナが収まらずに迎えました。コロナはかたちは違いますが、バビロン捕囚によって散らされた民の姿は私たちと重なります。エルサレム陥落と神殿の破壊、捕囚と帰還の出来事は旧約聖書の中でも大きなボリュームを占め Continue Reading →
クリスマスは私たちの世界に神が『突入』された時です。マリヤもヨセフも、羊飼いも東方の博士も、すべてのことがかつて聞いたこともない初めてのこと。それを信仰をもって迎えました。今、あなたのところにイエス様が来られたら、お迎 Continue Reading →
ザアカイ、彼は取税人のかしらで金持ちでした。それは時代劇の悪代官と結託した商人たちの「そちも悪よなぁ」というセリフと重なります。取税人は『罪人』と同義語でした。ローマの後ろ盾のもとに、不正な税の取り立てをして私腹を肥や Continue Reading →
私たち人は、「ありがとう、ごめんなさい、赦します」という3つのことばがあったら、共に生きていくことができます。しかし心は「あたりまえ、そっちが悪い、赦せない」と正反対のことを思います。主の祈りの「私たちの負い目をお赦し Continue Reading →
イエス様はユダヤからガリラヤへ向かう途上、「サマリヤを通って行かなければならなかった」とあります。それは、この女に会うためです。神にとって「たまたま』はありません。時を導き、出会いを導き、みわざをなしてくださるのです。 Continue Reading →
「子どもたちよ。すべてのことについて両親に従いなさい」(20)という教え。少し先ですが、23節には「何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心から行いなさい。」という教えられています。相手が何をしたしな Continue Reading →
信仰に生きること、それはいのちを与えたもう神の愛への応答です。そして、その競争は罪と戦い、罪を捨てること。そのためには信仰の創始者であり完成者であるイエスから目を離さないことを学びました。それに続いて考えたいのは「まっ Continue Reading →