カラダの不思議と神のご配慮

 怪我をして久しぶりに整形外科を受診しました。大きなものを運ぼうとして、バランスを崩し、ものが倒れないように抑えようとして右手の親指の付け根をへんな体勢で手をついたのです。角にぶつけたようで、すごく痛み、腫れてきました。結果としては打撲だけで、湿布して安静を保つという話でした。
 お医者さんが仰るのです。人間のカラダは自分で治す力があります。痛みがあるということは、動かすと安静を保てないので、そのサインです。痛かったら動かさないでください。包帯を巻くのは、動かさないで安静を保つ固定ですが、動かしにくいということは安静を意識するために大切です。周りにも怪我しているから無理させないようにというサインにもなります。そのように安静を保つことで早く治ります。無理をすると自分で治そうとする力の妨げになります。
 ごく当たり前の説明なのですが、つくづく人間のカラダはよく出来ているなぁと思ったのです。機械やモノ、おおよそ人間が作ったものにそんな力はありません。壊れたら壊れっぱなし。みな消耗し、傷んでいく一方で、絶えず手をかけ続けなければなりません。しかし、いのちあるものはみな自己修復機能をもっているのです。それは神様が緻密にいのち造ってくださった「しるし」なんだなぁと思わずにはいられません。
 怪我をするということは、ミスであり失敗です。子どもの頃は工作が好きで、刃物を扱うので、いまでもときにしますが、よく小さな怪我をしました。それが自ら治るということは、失敗をする人への配慮を神様は初めから備えてくださったのではないでしょうか。また、治るまでの期間というもの、それは当たり前になって日頃の感謝を忘れてしまう人が、謙虚な心を取り戻すために神様が備えてくださった機会なのでしょう。そのように人のカラダは神様のご配慮にあふれている。改めて感謝を覚えさせれました。