前を向いて進もう

 「リバイバル」、それが与えられるならば教会が100年かけてなすことを主は1日で成し遂げられる。それが教会の歴史の中で主がなさってこられたみわざです。生きておられる主は聖書の時代から今に至るまで働いておられるのです。一方で人はリバイバルを起こすことはできません。
 しかし、リバイバルを求めて教会は様々な試みをしてきました。様々なムーブメント、これこそ決定打と呼ばれるようなもの。徹夜祈祷、連夜祈祷から始まって、大伝道会や一致運動に至るまで、あるいはセルグループや現代的コンテンポラリーな要素を取り入れた礼拝などなど。まるで企業が成長戦略をマーケティングするように伝道戦略を打ち出したりもしました。それらは決して間違いではなく、主のための熱心からのものですが、リバイバルではありません。ですから多くは徒労感を残すものになったりもしました。
 パウロはテモテに励ましを送りました。
「…みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。…人々が…真理から耳を背け、作り話にそれて行くような時代になるからです。…けれども、あなたはどんな場合にも慎んで、苦難に耐え、伝道者の働きをなし、自分の務めを十分に果たしなさい。」(2テモテ4:1-6)
 「時が良くても悪くても」というなら悪い時代でしょう。東日本大震災、それは戦後日本で最大の出来事だったでしょう。人々が心探られて、本当に大切なものを求めるようになるのではないか。そう思いました。しかし、10年過ぎてみると、残念ながらそうはなっていません。人の心はなんと頑ななことでしょうか。それでも、私たちは「しっかりやりなさい」とのことばで力づけられます。コロナはその前進を妨げるものでしたが、もう一度、前を向いて、主から与えられた教会の前進をともにおささげしていきたいと祈っています。