津波の跡地に立って(2)

 震災から5ヶ月経った石巻を訪れて不思議な違和感を覚えたのは、ファミレスで食事をしたときとホームセンターで買い物をしたときです。こっちと全く同じ店が、同じように営業していて、そこを訪れる人はごく普通の生活をしているいうことでした。
 すでに、普通の生活に戻っている。もちろん、その場所は直接津波の被害にあった場所ではありません。根こそぎもっていかれた場所とは違います。海岸線から3-4kmから外れた場所は浸水もしていませんから、それが日常と言えば日常です。しかし、普通の生活が普通に営めることが人にとって大切であることを覚えたのです。
 一方でその違和感は、それができるのだろうかという疑問です。財産を失い、仕事を失った人たち。津波の被害に直接遭わなくても、仕事場を失ったり、機能マヒになって産業が成り立たなくなったりしているはずです。実際、港の周辺はガランとして何もありません。生活基盤を失っている。今までの生活が成り立つのだろうかという不安です。
 直接触れることはありませんでしたが、この町で、いままで通りの生活を今まで通りしている人と、まったく生活のめどもつかずして途方に暮れている人との差がとても大きいのではないかと思ったのです。
 それはここだけの話しではありません。それは一億総中流と呼ばれた社会から格差社会と呼ばれるようになったことを象徴してはいないだろうかと思ったのです。誰でも働こうと思えば働く場所があるというだけの社会ではなくなってきています。地方はますます過疎になり、都市化の波が地方を飲み込んでいます。それがますます加速するでしょう。その中で、「ここに生きている」ということの意味をいつも考えたいと思ったのです。あなたはなぜここにいますか?