神の息、聖霊の力

 ペンテコステ、過越の祭から50日目の五旬節の祭の時、聖霊降臨日と言われます。イエスさまは人となって世に来られ、弟子たちとともに過ごされました。十字架と復活の後に昇天され、聖霊なる神さまが来てくださることをお約束くださっていました。この日、目に見えない聖霊が与えられた「しるし」が降り、弟子たちは力強い励ましと確信をいただきました。
 続く使徒の働き(使徒行伝)は別名聖霊行伝とも呼ばれます。それは、使徒たちの力によってことが進んだのではなく、聖霊によってすべてのことが導かれたからです。世の中でもっとも硬い壁は人の心です。どんなに理屈が通っても、どんなに心情に訴えても、どんなに言葉巧みに説得しても、人の心を動かすことは至難のわざです。ユダヤ人がいままでの殻を破ることも、異邦人が十字架につけられたローマの反逆者、しかもそれが復活したなどと信じることができるでしょうか。何のメリットがあるでしょうか。
 それは「十字架のことばは、滅びる者たちには愚かであっても、救われる私たちには神の力です。」(1コリント1:18)とあるように
信じるに導く聖霊の働きによるのです。聖霊を表すことばは「息」です。人は「息」を与えられて生きています。信仰による新しい人は神の「息」である聖霊を受け生きる者に造り変えられた人です。それは硬い人の心を打ち砕く神ご自身です。
 今も昔も、「硬い壁」が世界に暗い影を落とし続けています。それは小さな私たちの日常から世界大に至るまで。それを打ち砕くのは、聖霊、神の息による刷新です。争う心、無慈悲な心、欲が支配する心、自分のことしか考えられない心、憤る心、憎む心、赦せぬ心。人の心が変わらない限り世界は変わりません。聖霊がその「硬い壁」を打ち破ってくださるように。そして、神の愛が世を覆う力となるように祈ろうではありませんか。