「霊の父の愛の訓練」へブル12:1-11
著者は、信仰者が通される「主の訓練」に触れます。私たちが間違いを犯すときに主の懲らしめを受け、また、あらゆる訓練を受けているということは、神が私たちを子として関わっておられる神の愛の現れなのです(5-7節)。 肉親の Continue Reading →
著者は、信仰者が通される「主の訓練」に触れます。私たちが間違いを犯すときに主の懲らしめを受け、また、あらゆる訓練を受けているということは、神が私たちを子として関わっておられる神の愛の現れなのです(5-7節)。 肉親の Continue Reading →
私たちのいのち、それは互いに愛し合い、一つになることによって神の御栄えを表すために造られました。ですから、そのことに一番の喜びを見いだすのです。しかし、そこに罪が入りました。神に従うことを喜ぶ、別の言い方をするならば、 Continue Reading →
現在、JECAの牧師の平均年齢は60代前半、日本の平均はもう少し上のようです。しかも、ボリュームとしてはやっぱり団塊の世代が多いのです。あと5年後、10年後、一斉に牧師を続けられなくなり、次の牧師が起こされる祈りは急務で Continue Reading →
激しい地震の被害がでるところでは、普段の生活がストップします。私たちも雪に閉じ込められたときに経験しましたが、陸の孤島となると、物資の流通が途絶えます。私たち現代社会は物流社会です。生活必需品、それらのはいつでもどこで Continue Reading →
この節は「また」で始まります。それは先の勧めが神に対してのわきまえであるとすると、もう一つ、私たちはどうしても、周りとの関係、人との比較の中でものを考えるからです。私たちの歩みのもう一つの側面と現実を教えます。 人類 Continue Reading →
皆さんに心からの感謝を申し上げます。先週のJECAの全国総会で私は運営委員長の働きを終えて、次の方にお委ねすることができました。この2年間、時間も心も多くの部分をそれに使わなければなりませんでした。それがゆえに教会員の Continue Reading →
「遠慮なく言ってください。訪問して励ましになるなら行きます。疲れていておじゃまになるようだったらこっちで祈っています」そうお伺いしての熊本訪問でした。 地震以来週に2回、3回と奉仕を続けている久留米聖書教会の渡邉英治 Continue Reading →
聖書の「聖」とは、取り分けること。一般に聖人と使われるような清らかなイメージとは結果的にそうであっても、元々は違う言葉です。聖別ということばも使われます。旧約聖書に出てくることばで考えてみましょう。 イスラエルの救い Continue Reading →
桜の花でやってきた春はあっという間に行き過ぎて、初夏の季節がやってきました。教会の庭もセンターの花壇も、私の畑も放っておけば、雑草だらけになってしまいます。庭仕事、畑仕事は切りがありません。花を見たいし、収穫もしたい。 Continue Reading →
私たちが願う幸せとは何でしょうか。ある人にとって、それはたくさんのお金だったり、尊敬される地位だったり、良い関係だったりします。それは確かに幸せを感じさせるものでしょう。しかし、それで満足しきった人はいません。それら地 Continue Reading →