「キリストの愛から引き離すものは何もない」ローマ8:28-39
「あしあと」という詩はよく知られています。「一番あなたを必要としたとき、あなたがなぜ私を捨てられたのか、わかりません…あしあとが一つだったとき、私はあなたを背負ってあるいていた。」私たちには苦しみ悩みに押しつぶされそう Continue Reading →
「あしあと」という詩はよく知られています。「一番あなたを必要としたとき、あなたがなぜ私を捨てられたのか、わかりません…あしあとが一つだったとき、私はあなたを背負ってあるいていた。」私たちには苦しみ悩みに押しつぶされそう Continue Reading →
こどもの成長のバロメーターは自立です。この時代、高齢者が増え、仕事といえば非正規職員が増え、ちゃんと自分で食べていくことができるんだろうか。そんな心配を覚えます。そんな中、この五千人の給食の奇蹟の問いかけを考えてみたい Continue Reading →
人間にとって最も大きな問題は罪と死です。死には3つの恐れがつきまといます。 第一にすべてを失う不安です。人は築き上げたもので身を飾っています。その覆いがなくなり裸になる恐れです。第二はたった一人になる孤独です。最期は誰 Continue Reading →
私たち人間は互いに「よい・わるい」、「できる・できない」などとレッテルを貼り合い、比較の中に生き、疲れを覚えます。それは造り主なる神から離れているからです。一方で人は、自分のことはコントロールできると思っています。どう Continue Reading →
神であるキリストが人となられたのは、処女マリヤを通してでした。当時の結婚は両家が結婚に合意すると、花婿側は花嫁料を払い婚姻関係を公にします。一年の後に一緒になる、ヨセフとマリヤはすでに許嫁でした。最初に懐妊を告げられた Continue Reading →
人は自分自身が経験した範囲でしか物事を理解できません。様々な弱さや痛みのとき、人の善意の言葉すら「わかっちゃいない」と思ってしまう。周りは「お察しします」ということばがせいぜいです。すべてに見放されているように感じると Continue Reading →
復活のイエス様は「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています」と言われました。生ける神であることの宣言です。ここでイエスは弟子たちとガリラヤ湖の向こう岸へ渡ろうと言われます。漁師であった弟子 Continue Reading →
35節は、イエスがなさったことを4つのことばで教えています。 第一は「教え」です。学校では学問、家庭ではしつけ、会社では仕事です。会堂、ユダヤ人のシナゴーグで当時の律法学者たちが教えた教えにイエスは危機を覚えました。 Continue Reading →
私たちはどのようにして老いを諦めるのではなく、受け止めることができるののでしょう。その鍵を洗足の記事から学びましょう。この洗足と呼ばれる出来事は最後の晩餐の時です。彼らの習慣では一番しんがりの者が足を洗い、食卓に着きま Continue Reading →