「イエスの死、その時」マルコ15:33-41
「イエスの死、その時」マルコ15:33-41 マルコの福音書を読み進めてきて、いよいよイエスの死の場面です。十字架に架けられると人々はイエスを罵りました。そして、「十二時になったとき、闇が全地をおおい、午後三時まで続」 Continue Reading →
「イエスの死、その時」マルコ15:33-41 マルコの福音書を読み進めてきて、いよいよイエスの死の場面です。十字架に架けられると人々はイエスを罵りました。そして、「十二時になったとき、闇が全地をおおい、午後三時まで続」 Continue Reading →
「十字架のみ苦しみ」マルコ15:16-32 この箇所は十字架へと送られたイエス様の受けられたみ苦しみの箇所です。ここに出てくる人たちに私たちの姿を重ねて、みことばの迫りを聞きたいと思います。 兵士たちはイエスをからか Continue Reading →
「主とともに平和を生きる」1テサロニケ5:10-24 8月は平和を覚えて祈る月です。戦後75年、生き証人が絶えようとしています。そこをくぐり抜けてきた人たちはその悲惨さを身に染みていますが、それが絶えたとき、同じ過ちを Continue Reading →
「あなたの王は誰か」マルコ15:1-15 祭司長たちは夜が明けるとすぐにイエスをピラトのもとに連れ出します。ピラトが尋ねた問いは「あなたはユダヤ人の王なのか」でした。もし、そうならば、ローマに対する反逆罪です。イエスは Continue Reading →
「どれだけ頑張っても」マルコ14:66-72 イエス様の逮捕、その場でつまづいた弟子たちの姿は、表裏ある人の姿、暴力に訴える人の姿、困難に向き合えず逃避する人の姿でした。そして、イエス様の裁判、そこでは偽善を暴かた者た Continue Reading →
「裁かれて明るみに出たのは?」マルコ14:53-65 イエス様の逮捕劇、そこでスポットが当たっていたのは弟子たちの姿でした。この箇所では対極にある祭司長、律法学者、長老たちです。そこで、裁かれて明るみに出たのはむしろ彼 Continue Reading →
「イエスの逮捕」マルコ14:43-52 この逮捕劇、イエス様の態度は毅然としています。何のためらいも、戸惑いも、ブレの一つもありません。それは、すでにゲッセマネの祈りで勝利をなさったからです。一方、弟子たちにとっては「 Continue Reading →
「自分を捨てる闘い」マルコ14:32-42 ゲッセマネの祈り。イエス様が十字架へと向かう最大のヤマ場であり、最大の闘いの場です。この先、イエス様には、一つの迷いもぶれもありません。それは、このゲッセマネの祈りでの闘い、 Continue Reading →
「私の決意、主のあわれみ」マルコ14:27-31 「つまづき」ということばは、私たちもときに使います。私たちは互いに人につまづき人をつまづかせたりします。しかしここでは、父なる神が羊飼いであるイエスを打ち、羊である弟子 Continue Reading →
「わたしのからだ、わたしの血」マルコ14:22-26 過越の食事、最後の晩餐と呼ばれるその場でイエス様は聖餐を定めてくださいました。その意味を弟子たちは理解したでしょうか。それがわかったのは、十字架とよみがえりの後です Continue Reading →