「主の御手に任せる」2サムエル15:1-31
ダビデは誰よりもイスラエルの王として主の祝福をいただく信仰の人でした。それが彼の表の顔ですが、影の部分があるのです。彼は王権が確立すると周辺諸国の王のように多くの妻と側女を召し入れます。それが諸王のステータスでした。し Continue Reading →
ダビデは誰よりもイスラエルの王として主の祝福をいただく信仰の人でした。それが彼の表の顔ですが、影の部分があるのです。彼は王権が確立すると周辺諸国の王のように多くの妻と側女を召し入れます。それが諸王のステータスでした。し Continue Reading →
1970年代、福音派の教会は宣教師たちの活躍によって大きく前進しました。ここ甲府でも3組、4組の宣教師たちが入れ替わり立ち替わり活動した時代がありました。1ドル360円の固定為替制が変動為替制に移行したのは1973年の Continue Reading →
信仰の勇者として歩み、名実ともに王となったダビデが大きな罪を犯しバテ・シャバを見初めて召し入れ寝るのです。しかも人妻である彼女が身ごもると、戦地にいる夫ウリヤを呼び、家に帰らせる隠蔽工作をします。それが失敗すると彼を最 Continue Reading →
戦後のキリスト教ブームに続く1950-1960年代、それは日本の都市化、東京への一極集中と重なります。田舎から都会へと人は流れました。日本人の中には家(イエ)文化が深く根付いているように思います。ですから、イエを守り、 Continue Reading →
アブラハムの選びと契約、それに求められたのは「割礼」というしるしでした。奴隷のエジプトから贖い出された民に与えられた契約、そのしるしは「律法」です。祭司の王国、聖なる国民としての選びに応えるものです。しかし、荒野の40 Continue Reading →
アフター・コロナと言ってもまだ終わっていないのですが、教会の営みは前とは違っています。そして、教会員も教会外の人たちもキリスト教や教会についての意識が変わってきています。その中でどのように伝道の使命を果たせるのかと考え Continue Reading →
サウルが死に、ダビデが全イスラエルの王となってヘブロンからエルサレムに都を移すと、最初にしたことが神の箱を都に運び上るということでした。神の箱は出エジプトの民がシナイで作るように命じられた幕屋の中心に置かれた神の臨在を Continue Reading →
6月の終わりから旧約聖書のあらすじを学んでいます。コロナからの回復と捕囚からの回復を重ね合わせて、散らされた者が集められることをともに学ぼうと導かれたからです。それにに先立って旧約聖書の出来事を学んでいます。何ゆえに捕 Continue Reading →
「えっ、この人89歳?」若々しい顔つやにとてもそんな歳とは思えない。テレビを見て驚いたのは安積登利夫さん。現役テーラー(紳士服仕立屋)として働いておられる。しかも、後進の育成のために6年前に「東京洋服アカデミー」を開い Continue Reading →
私たちの周りでは人生の終わりを迎える『終活』なる言葉が使われるようになりました。それは過去と今のことです。未来に自分はいません。しかし、キリスト者には天に迎えられる希望があります。主が迎えてくださるのは新天新地です。終 Continue Reading →