「私の願いではなくあなたのみこころを」マタイ26:36-56
受難節を迎え、ゲッセマネの祈りからその格闘を心に留めたいと思います。 十字架の苦しみ、その極みは「我が神、我が神、どうして私をお見捨てになったのですか」という叫びでしょう。一つであるものが引き裂かれるという痛み。私た Continue Reading →
受難節を迎え、ゲッセマネの祈りからその格闘を心に留めたいと思います。 十字架の苦しみ、その極みは「我が神、我が神、どうして私をお見捨てになったのですか」という叫びでしょう。一つであるものが引き裂かれるという痛み。私た Continue Reading →
今週、あの東日本大震災から丸5年を迎えます。激しい揺れの記憶、ニュースに流れた目を疑うばかりの津波の惨状、原発事故の緊迫した決死の作業、故郷を追われる人たちの悲壮、混乱する首都圏の様子や物流の停滞、暗く長い夜の停電。こ Continue Reading →
取税人マタイにイエス様は「私についてきなさい」と声を掛けました。取税人は不正な取り立てのゆえ、ローマの手下になるゆえ、人々から罪人と見なされていた人。それがイエスの恵みをいただくのです。 ルカの福音書を見るとそこには Continue Reading →
梅がほころび、暖かな日差しを感じるようになると「もうすぐ春!」と気持ちが前向きになりますね。「越冬」ということばがあるように冬を越すのは容易なことではありません。もっともその感覚は四季がある国だからのことで、赤道直下の Continue Reading →
山上の説教の最後の2節は付け足しのように見えるところですが、聞いた者がどのように受けとったのか、イエスの教えに対する反応が記録されています。それはまた、あなたはどのように受け取るのかという迫りです。 群衆はイエスの教 Continue Reading →
私たちの人生に起こる雨、洪水、風。それは岩の上に建てた家にも、砂の上に建てた家にも同じように起こります。それは信仰を持つ者も、そうでない者も、同じように嵐に遭うのです。3つのエピソードから嵐にどう向き合うのか、考えてみ Continue Reading →
1月の終わりに香川の教会訪問をしてきましたが、その一番大きな目的は二つの教会の牧師招聘のサポートです。一つは無牧になったところに招聘、もう一つは牧師の交代。188あるJECAの加盟教会では、毎年十数人の牧師の辞任・招聘 Continue Reading →
主イエスはここで家を建てるたとえをしてどんな人生、いのちを生きようとしているのかを問うておられます。私たちは尊いいのちをいただいています。しかし何を建てているのか目標を定めることより、日々のことに追われていることが少な Continue Reading →
音声を聞く
四国4県の中で香川県は玄関口として、かつては宇高連絡線、今は瀬戸大橋で結ばれ発展し、その中心が高松です。戦後、極東福音十字軍の宣教師たちが山梨で活躍したように高松を拠点に香川県で宣教したのはTEAM宣教団、その中でもK Continue Reading →